Forest Studio

2016.9.9 (パラの主役) 走る 跳ぶ 私の証

陸上 高桑 早苗(24)




2020年東京パラリンピックを控えた障害者スポーツの優等生である。理路整然とした口調で競技の魅力と課題を語り、当意即妙な受け答えをする。リオデジャネイロ・パラリンピックを迎えるまで陸上(切断など)女子の高桑早生(さき)(24)=エイベックス=のメディアへの登場回数は群を抜いていた。ただ、笑顔で受け答えする取材中に時折、苦悩も垣間見えた。本職の短距離か、確実に記録を残せる跳躍か。リオに降り立っての結論は「欲張って、いいとこ取りする」。9日(日本時間同日夜)、最初の種目となる走り幅跳びに挑む。
左脚に装着した義足を相棒に、伸びのある走りでトラックを駆ける。100メートルで今年4月に記録した13秒59の自己ベストは、日本記録、アジア記録をともに更新した。走り幅跳びでも助走のスピードが武器だと自負する。左脚を失ったことへの落胆から立ち直ったのは、生活用の義足より先にスポーツ用義足に出合って「歩く」だけでなく「走る」ことに希望を見いだせたから。ランナーであることが存在意義だ。
テニスが好きだった両親の影響で、幼少期からコートに足を運んだ。歩けるかどうかという幼い頃にテニスボールを入れる缶をかじっている写真は、今も残っている。小学4年で本格的に習い始め「これから先、ずっとテニスにかかわって生きていくんだろうな」という未来図まで描いていた。左足首にじわりと来る痛みを感じたのは、小学6年の秋だった。骨肉腫の兆候だった。体育の授業の後だったこともあり「どこかひねったかな」と思う程度だったが、患部が腫れていることに気づき、その年の12月に最初の手術を受けた。腫瘍は良性で、 あとは骨ができるのを待つだけ−−。だが、中学に入学してもいっこうに骨は再生してこなかった。
入学早々に再入院し、3回目の手術でようやくがん細胞が見つかった。命にかかわる病気だと受け入れるのに精いっぱいだったのに「テニスはできなくなるのかな」とふと頭をよぎった。そんな彼女の思いをくんだ主治医は「義足も性能が良くなっている。スポーツをしたいのなら、切断した方が世界が広がるんじゃないか」と諭した。手術を受けたのは05年6月13日、月曜日。13歳になったばかりだった。
学校に戻ったのは2学期だった。「入学してやっと友だちになったと思ったら、すぐ入院しちゃって。戻ってきたら松葉づえをついて、感染症予防のマスクをしている。そりゃ周りも驚いたと思うし、その反応に私も驚いちゃうし……。成長期に病気をすると、いろんなところで大変なんだなって」。義足になっても、ソフトテニスにかじりついたのは意地だった。 テニスを嫌いになる前に陸上を始めたのは、振り返れば正解だった。中学2年の時、切断者による陸上チーム「ヘルスエンジェルス」の練習をのぞいた時の印象が強く残っている。後に20年東京五輪・パラリンピックの招致演説をする佐藤真海(34)の著書「ラッキーガール」を入院中に読んでいたことも影響した。同じ骨肉腫で右脚膝下を切断した佐藤が義足で躍動する姿を写した表紙は、自身の未来への展望を開いてくれた気がした。高校に進学すると心機一転、陸上部に入った。
「何ごともチャレンジすることって大事だし、そこから世界が広がる」。テニスを諦めるのではなく、新たな可能性を試す。吹っ切ることができたから、陸上に打ち込めた。慶大2年で初出場した12年ロンドン・パラリンピックでは100メートル、200メートルともに7位入賞。選択肢を増やすために、走り幅跳びにも取り組み始めた。
記録は順調に伸びた。国際大会での初メダルは昨年7月にロンドンで行われたグランプリファイナルでの銅メダル。同10月の世界選手権でも3位に入った。一方で、短距離では世界との差が縮まらなくなった。100メートル、200メートルに次ぐ3番目の位置づけだった種目だけに手応えを感じるジレンマを抱えながら、リオ大会本番の16年を迎えた。
成績を考えれば、幅跳びに専念することが現実的だ。しかし「(種目を)絞れたらどれだけ楽だろうかと思うけど、それでは面白くない」と言い切る。例えば、幅跳びは技術的な未熟さに悩まされる。左の義足で踏み切っても、右足をうまく振り上げることができず、滞空時間の短い、低い跳躍になってしまう。それなら、持ち前のスプリント力で、助走の勢いをつける。幅跳び用の助走などと考えるのではなく、走り始めはどれだけスピードを上げるかだけに集中することにした。跳躍の課題を短距離の感覚で補う。そんな相関関係が生まれた。
障害者スポーツと社会との橋渡し役として寄せられる期待は高い。「目立つ人はどうしても出てくるわけで、今たまたま私に(注目が)集まっているだけ。それは光栄なことで、競技のことを知ってもらえるような存在になっているなら、受け入れよう」。根はやはり、まじめ。それはいい意味で変わらない。


長野県の出場選手

 


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