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2016.9.17 : (パラの主役) 家族・伴走に支えられて

マラソン・道下美里(39)




進んできた道には、いつも支えてくれる存在がいた。リオデジャネイロ・パラリンピックから正式採用された女子マラソン(視覚障害T12)での金メダルの有力候補が、道下美里(39)=三井住友海上=だ。144センチと小柄な体に豊富なスタミナを宿し、自身の持つ日本記録の2時間59分21秒は世界記録(2時間58分23秒)に迫る。レースは大会最終日の18日朝(日本時間同日夜)にスタートする。ひたすらに前を向いた先にあるのは、初代女王の座だ。
「本当にわくわくしている感じ。子どもみたいですね」。パラリンピック開幕まで約1カ月となった7月末の福岡市。支援者による激励会に出席した道下はにこやかだった。厳しいレースを柔らかな表情で走り抜けることから、自ら名付けたのは「スマイル走法」。好結果を出すほどに注目度は高まり、存在を知られるようになった。重圧に感じることはないのか。「だってこんな瞬間って一生に一度あるかないかですよ? 自分にチャンスをくれる人がこんなにいるんだなーって」。今、置かれている状況を楽しんでいる。
山口県下関市出身。中学2年のとき難病にかかり、右目を失明。25歳で左の視力もほぼ失った。光や輪郭をぼんやりと感じるぐらいで、日常生活に支障が出るようになり、母千代子さん(69)の勧めで盲学校に入学した。「食べることでストレスを解消しようとしてすごく太って」。盲学校の放課後にランニングを始めたのは、そんなきっかけだった。体育大会でのことだ。道下は「800メートル走で50代の女性に負けて……。『次は抜こう』と。女の意地ですかね」とにこにこと振り返る。負けず嫌いな気持ちも人一倍だった。
競技者として活動を続けられるのは夫孝幸さん(40)の理解が大きい。「『口出ししないのが一番のサポート』と、私のことを客観的に捉えてくれる。親みたいな感じで。だから頑張ろう、と。頑張った時は『よしよし』ってすごくほめてくれるので」。照れることもなく、道下は言う。
結婚までの歩みはなかなかドラマチックだ。出会いは、福岡県内のファミリーレストラン。道下は短大生、孝幸さんは大学生でともにホールでアルバイトをしていた。「私が好意を寄せていたので、一方的に誘って……。1回は遊びに行ったのですが、付き合ってはなかったです」。やや恥ずかしそうに、孝幸さんは振り返る。
卒業をしてからは連絡を取り合うことはなかったが、孝幸さんの心の中では、道下のことが引っかかっていた。今から10年ほど前のことだ。勤務していた会社を辞め、転職することを決めた孝幸さんはふと考えた。「次の仕事が決まる前に、彼女に会いに行こう。そこで会えなかったら仕方ない」。過去の思いにも踏ん切りをつけるため、道下が当時勤務していた下関市内の書店を訪ねた。「そうしたら、会えたんですよ」。孝幸さんは今でもうれしそうだ。
もともと視力が低いのは知っていたが、再会したときに、症状は悪化していた。「両方見えていないと聞かされても、不思議と気にならなかった」と孝幸さんは言う。すでにマラソンを競技として始めていた道下とゆっくり心を通わせ、2010年に結婚した。
競技場内で道下をサポートするのが、伴走者の存在だ。堀内規生さん(35)は13年から道下の「目」として走り続けている。会社員の堀内さんは趣味でランニングをしていて、障害者の伴走に関わるようになった。元高校球児で、体力には自信がある。だが、走る主体が他人にあることは想像以上に体力的な負担がかかる。
身長144センチの道下に対し、堀内さんは173センチ。「僕の歩幅では走れないので、小股になる。ブレーキをかけながら走るので、股関節がきついですね」。さらに伴走用のロープを持つ時は肩の位置を下げ気味にして、肘を曲げない。これも、「道下仕様」の走法だ。
「人のため、とかボランティア精神を持ってやっている意識はない」と堀内さん。苦しさを感じながらもパートナーを続けるのは「伴走も競技だ」という意識があるからだという。「きずな」と呼ばれるロープで結ばれ、ルールで認められる範囲で、選手に必要な情報も与える。個人競技でもチーム戦のような要素もあることに、堀内さんは醍醐味(だいごみ)を感じている。
トップランナーとして道下が可能性を広げる一方で、孝幸さんは6月、ある決心をした。建築士としての独立だ。「決断は迷ったけれど、彼女の生き様を見て感化された部分もある」。これだ、と思ったら迷わない。夫婦は刺激し合っている。
ピッチ走法が道下の基本スタイルだが、最近では可動域を広げるためヨガを取り入れて体の柔軟性を高めるなど、直前まで調整法を模索する。リオの目標を問われ、道下は「みんなでメダルを取る」と言った。孝幸さんや堀内さんだけでない。42・195キロを走り進めるごとに、大事な人が浮かんでくる。


女子マラソン 道下が銀メダル

 

リオデジャネイロパラリンピックは18日、女子マラソンの目に障害のあるクラスが行われ、道下美里選手が銀メダルを獲得しました
今大会から行われている女子マラソンの目に障害のあるクラスには、道下美里選手、近藤寛子選手、西島美保子選手の3人が出場し、世界的な観光地のコパカバーナ海岸を周回するコースを走りました。
道下選手は去年の世界選手権3位で、出場選手の中で最も早い自己ベストタイムを持っていて、メダル獲得への期待がかかりました。
道下選手は小柄な体格を生かしたピッチ走法で、序盤は4位でしたが、このあと順位を上げて、前半をトップと3分差の1時間33分46秒で走り3位につけました。
後半、30キロ付近で2位に順位を上げた道下選手は、このままペースを守って走りきり、トップからは5分余り遅れたものの、3時間6分52秒で銀メダルを獲得しました。
このほか近藤選手は3時間23分12秒で5位、西島選手は30キロをすぎたあとに途中棄権しました。
道下美里選手は「金メダルが取れなくて悔しさも残りますが、銀メダルが今の私にとっては最高のメダルだと思います」と喜びました。
そのうえで道下選手は「伴走の方のサポートで最高の力を発揮できました。頭の中にコースの図面を描いて方向を確認していたので、初めて走るようなコースには思えず、不安も全くありませんでした」と笑顔でレースを振り返りました。
道下選手は山口県出身の39歳。初めてのパラリンピック出場です。道下選手は小学4年生の時に病気で右目の視力を失い、左目も視力はわずかしかありません。身長1メートル44センチの小柄な体格を生かしたピッチ走法が持ち味で、粘り強い走りで、去年の世界選手権では3位に入っていました。


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