Forest Studio

2016.9.10 : (パラの主役)弾む義足

トライアスロン 秦 由加子(35)




13歳のときには想像もできなかった自分がいる。リオデジャネイロ・パラリンピックから正式競技に採用されたトライアスロン。女子PT2の秦由加子(35)=マーズフラッグ・稲毛インター=は31歳で過酷な競技と出合い、隠し続けてきた義足を初めてかっこいいと思えるようになった。
「私にはスポーツができなかった時期がある。でも、だからこそ今が楽しいと思える」。11日午前(日本時間同日夜)にレースはスタートする。
突然の宣告だった。足が少し痛いと感じて訪れた病院。そのうち治るだろうと思っていたある日、主治医に「脚を切らないといけない」と告げられた。自分がどういう状況に置かれているかも分からないまま、目の前で泣き崩れる両親を「大丈夫。大丈夫だから」と励まし続けた。骨肉腫で右大腿部から切断。13歳のときだった。
それからは自分が義足であることを隠すことで精いっぱいだった。中学、高校は一度も運動会には参加していない。スポーツをしたいとも思わなかったし、できるとも知らなかった。友達はたくさんいた。でも、常にすれ違う人の目がどこを向いているか気になり、足元を見られることに傷ついた。「なんで自分だけがこんな目にあうんだろう」。風呂場で一人泣いた。
大学卒業後に就職して時間ができると、何かを始めたくなった。3歳から8年間、スイミングクラブの選手コースに週6日通い、泳ぐことは大好きだった。だが、義足を外してプールサイドを歩くのが嫌で、常にバスタオルで足を隠していた。2008年、転機が訪れる。自宅がある千葉県内に障害者のスイミングクラブが発足することをインターネットで知った。
練習に参加して初めて同じ境遇の人たちと出会った。義足や障害を隠すことなく堂々としている姿に「自分はなんて狭い世界にいたのだろう」と気持ちが軽くなった。
ちょうど北京パラリンピックが開かれていた。選手の生き生きした姿を見て、目指してみたいと思った。出勤前の朝に練習できるスイミングクラブを探して出合ったのが稲毛インターナショナルスイミングスクール(千葉市稲毛区)だった。リオ五輪に出場した上田藍ら国内トップクラスのトライアスロンの選手が練習する強化拠点。
隣を見れば五輪選手がいる恵まれた環境で刺激を受けた。リオ大会で初めて採用されることを知り、トライアスロンを始めるには最高の環境にいることに気づいた。「ここでやらないで、いつやるのか」。12年ロンドン大会は競泳で参加標準記録を突破できなかったが、すぐに新たな挑戦が始まった。
18年ぶりに走った日のことは今でも忘れない。早歩きから恐る恐る駆け出してみると、地面を蹴った反発が義足を通じて全身に伝わった。久々に体が宙に浮いた。今までは動く歩道でしか感じることができなかった風を切って進む感触も新鮮だった。同時に、義足に対する考え方も「歩ければいいと思っていたがもっともっと進化させて、体の一部にしたい」と変わった。



最初の1年は痛みとの闘いでもあった。義足の重さは約3キロ。右足を真っすぐ前に踏み出すことさえできなかった。走る度に器具に脚の切断面が当たり激痛が走った。徐々に脚の筋肉がつき、体幹を鍛えたことで走りがスムーズになり、格段に記録が伸びた。
14年に日本トライアスロン連合の強化指定選手となった。週4日は午前4時半に起床して、出勤前に2時間ほど泳ぎ込む。経理の仕事をフルタイムでこなし、退社後に再び練習。遠征は有給休暇を取得した。もっと練習したいと思うこともあるが、 競技を始める前に新卒で入社した会社も「生きがいの一つ」だと感じている。両立しながら15年5月に開かれた世界トライアスロンシリーズの横浜大会で初優勝。念願のパラリンピックの切符をつかんだ。「(上田)藍ちゃんがいつも『一緒にリオに行きましょうね』と言ってくれていた」。自分の前にはレールが敷かれていたと運命を感じている。
最近、出会いがあった。義足の調整に訪れた義肢装具サポートセンターである女性に話しかけられた。娘が足を切断したばかりで、すがるような思いで不安を打ち明けられた。「私を見て、大丈夫だとほっとしてくれたみたい」。その女の子とメールのやりとりが始まった。
「義足で歩くのは痛いですか」「スカートをはけますか」。13歳のとき自分が感じていた不安と同じだった。彼女には「きっと大丈夫」と伝えたいことが多くあった。
もう、周りの目は気にならない。でも、そうなるには時間もかかった。「たった1度の出合いで世界は変わる。私はもっと早くスポーツをしていれば、もっと楽しい人生だったかもしれない。でも、あのときの経験があるからこそ不安に思っている同じ境遇の人たちの思いを理解できる。伝えられることもある。
パラリンピックがその一つのきっかけになれば私にとっては出場する価値がある」。その思いはリオの風に乗り、多くの人々の心に響くに違いない。


トップ