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2016.8.20 : 和になったバトンパス 

陸上男子400リレー




「個」の力が足りなくても、「和」で補えばいい。それが陸上男子400メートルリレーの醍醐味だ。日本は18日に行われた予選で、山県亮太(セイコーホールディングス)、飯塚翔太(ミズノ)、桐生祥秀(東洋大)、ケンブリッジ飛鳥(ドーム)の順で37秒68のアジア新記録で2組1着となり、 5大会連続の決勝進出を果たした。藤光謙司(ゼンリン)、高瀬慧(富士通)も加えた6人で挑む日本は「史上最強」の呼び声が高かったが、タイムで証明した。桐生は「このメンバーが最強なので、気持ちを信じて、バトンをつないで、本当にメダル獲得を目指していきたい」。
19日午後10時35分(日本時間20日午前10時35分)の決勝で2008年北京五輪の銅メダル以来、8年ぶりの表彰台をつかみに行く。
14年秋、仁川アジア大会で日本はどん底に突き落とされた。1走から山県、飯塚、08年北京五輪銅メダルの高平慎士(富士通)、高瀬の布陣で金メダルを狙っていたが、結果は中国に完敗。日本が持つアジア記録を塗り替えられる屈辱だった。
日本陸上競技連盟科学委員会の分析によると、3カ所あるバトンの受け渡しゾーン(各20メートル)の通過合計タイムで日本の5秒84に対し、中国は5秒69。大きなミスもないのに0秒15、距離にして1メートル半超も差がついた。日本陸連の土江寛裕・男子短距離副部長が自戒を込めて言う。「日本はバトンがうまいと思っていたが、実はヘタだった」 バトンパスの方法は「オーバーハンドパス」と「アンダーハンドパス」に大別される。前者は受け取る側が手のひらを上に向けて腕を伸ばし、渡す側が上からバトンを入れる。ほとんどの国がこのパスだ。
一方、後者は受け取る側が手のひらを下に向け、渡す側が下から上へバトンを入れる。採用するのは日本とフランス。受け取る側は腕を後ろに振った位置でもらうため、スピードに乗った状態で受け渡しできる。海外勢との走力差を補う「切り札」として日本は01年から採用し、14年までの五輪、世界選手権では11年を除いて8位以上の入賞を重ねてきた。
中国に敗れた夜。選手村の一室にメンバーが集まった。自然と口が重くなる中、冷静な山県が「みんなで集まって一緒に練習して、切磋琢磨(せっさたくま)しないといけない」と訴えた。高瀬は「自分らのバトンパスを見直さないといけないと思った」と振り返る。オーバーハンドの方がいいとの主張もあった。それは伝統技術を捨てることを意味する。日本は道を探しあぐねていた。
同じく危機感を抱いたのが日本陸連の苅部(かるべ)俊二・男子短距離部長だった。苅部部長は08年北京五輪で日本男子リレーを銅メダルに導き、12年ロンドン五輪後に代表の指導陣から離れていた。冷静に外から見ると、日本の過信や精度の低下が目についた。
その年の秋に代表の指導陣に復帰した苅部部長には再生策がいくつかあった。オーバーハンドは受け取る側が伸ばした腕を高く上げるため加速しづらいが、渡す側と受け取る側がそれぞれ腕を伸ばすため、2人の間の距離を稼げる。これを「利得距離」と呼ぶ。一方、アンダーハンドは2人が近づくため利得距離は小さいが、特に日本は受け取る側の腕が真下に位置し、渡す側と近づきすぎて利得距離がほとんど稼げていなかった。
「進化しよう」。15年に入り、日本陸連の合宿で苅部部長が選手に提案した。アンダーハンドを残しつつ、受け取る側は手を後ろに腰付近まで上げて利得距離を稼ぐ。いわば、オーバーハンドとアンダーハンドの「いいとこ取り」だ。高平や同じく北京五輪銅メダルメンバーの塚原直貴(富士通)らを中心に、受け取る側の手の出し方や歩数、渡す側が声を掛けるタイミングなど次々と意見が出始めた。
苅部部長は「みんなが真剣に聞き、いい物を作ろうという雰囲気だった。僕が止めなかったら、議論はずっと続いていた」。道は決まった。あとは、ひたすら精度を高めるだけだ。
飯塚は「新しい一つの目標に向かうことで、一体感も増した」と振り返る。選手の意識も変わった。個人競技のため「個」の意識が強かったが、プライベートでも互いに食事に行き、腹を割って話せる関係を作った。
日本代表はレース前、過去の五輪や世界選手権のリレーをまとめた映像を見るのが慣例となっている。栄光、歓喜、焦燥、挫折、屈辱−−。日本のアンダーハンドは先人が歴史を重ね、修正を繰り返し、後輩に託してきた伝統技術である。
苅部部長は日本のリレーを伝統工芸の「浮世絵」に例える。「絵師がいて、彫り師がいて、摺(す)り師がいる。それぞれの職人が自分のやるべきことをしっかりやり、次の人に受け継ぐ。前の人の仕事が悪ければ、それが次に引き継がれてしまうので、決して手を抜けない。だから、日本人はリレーに引きつけられるのではないか。そういう日本人気質を生かしたリレーをしたい」 史上初の銅メダルに輝き、アンカーの朝原宣治がバトンを夜空に放り投げた北京五輪の名場面から8年。紡いだ技術が結実した時、日本のバトンが再びリオの夜空を舞う。

陸上男子400Mリレー 日本銀メダル



リオデジャネイロオリンピック、陸上の男子400メートルリレーは19日、決勝が行われ、日本は37秒60のアジア新記録で2位となり、銀メダルを獲得しました。
日本は前の日、37秒68のアジア記録をマークした予選と同じメンバーで19日の決勝に臨みました。
1人目の山縣亮太選手は得意のスタートを決めて2人目の飯塚翔太選手につなぎました。そして、飯塚選手からバトンを受け取った3人目の桐生祥秀選手はカーブでうまく加速し、アンカーのケンブリッジ飛鳥選手につなぎました。ケンブリッジ選手は先頭を行くジャマイカのアンカー、ウサイン・ボルト選手に食らいつき、2位でフィニッシュしました。
日本は前の日のアジア記録を0秒08更新する、37秒60のアジア新記録でこの種目、過去最高の銀メダルを獲得しました。
金メダルはジャマイカで37秒27でした。ジャマイカのアンカー、ボルト選手はこの大会、3個目の金メダルを手にしました。また、このレースで、アメリカとトリニダード・トバゴは失格となりました。

山縣「世界のトップ見える」

 

第1走者の山縣選手は、好スタートで飛び出し、スピードに乗った安定した走りで第2走者につなげたレースについて、「とにかく僕は自分の仕事に徹し、抜群のスタートとチームに流れを持ってこられる走りをすることだけ考えた。
フライングは恐れずに走った」と冷静に振り返っていました。日本陸上男子のトラック種目で史上初の銀メダルを獲得したことについては、「男子のスプリント種目で日本も活躍できると言うことは本当に自分たちにとってうれしいことだし日本の陸上界にとっても励みになると思う」と話したうえで、東京大会に向けて「とにかくきょうのタイムを続けていく先に、世界のトップが見える位置にあると思うのできょうのレースよりもさらにいいレースをして、メダルを目指したいと思う」とさらなる飛躍を誓っていました。

飯塚「東京へいいスタート」

 

第2走者の飯塚翔太選手は、好スタートを切った山縣選手からバトンを受けた自身の走りを振り返り、「自信を持ってスタートを切ることと、自分のレーンだけ見て走ることだけを考えて走った。
決勝の舞台ではスタートが出遅れてバトンパスが詰まってしまうことがたくさんあるので、まずは思い切って出ることを考えた」と話し、予選でマークしたアジア記録より「さらに上を目指していた」ということです。チーム最年長の25歳の飯塚選手は北京大会の銅メダルを上回る結果を残したことについて「過去の先輩たちからもずっとバトンはつながってきていたので今回こういった形でメダルを取ることができた。東京に向けてもいいスタート切れたと思う。日本人が走る才能があるということも少しは分かって頂けたかなと思う」と笑顔で話していました。

桐生「日本のバトンパスが最高」

 

チーム最年少20歳で第3走者を任せられた桐生祥秀選手は、上位でバトンを受けるとさらに順位をあげて第4走者のケンブリッジ選手にバトンを渡しました。桐生選手は、「最高のメンバーと走れたのでうれしい。めちゃくちゃ盛り上がったので最高に楽しいレースを走らせてもらった」と興奮気味に話しました。また、日本の高い技術のバトンパスを成功させたことについて、「僕がどんなに思いっきりスタートしても飯塚さんがバトンを渡してくれると言ってくれたので信じていた。よりいい順位でケンブリッジさんに渡すことしか考えていなかった。
日本のバトンパスが最高だ、ということは結果で証明できた思う。これに甘えず、もっと上にいけるように個人でもリレーでも最高の走りをしたい」と話していました。

ケンブリッジ「今度は9秒台で」

 

アンカーのケンブリッジ飛鳥選手は、後半に伸びる持ち味の走りを見せて銀メダル獲得につなげ、「三人が絶対いいところで渡してくれると信じていたので1つでも前の順位でゴールするという気持ちで走った。しっかり自分の走りをするというのと絶対に抜かれないということを考えて走った」とレースを振り返りました。隣のレーンで走ったジャマイカのウサイン・ボルト選手に続いてゴールしたことについては「背中は見えていたがあまり覚えていません」と苦笑いを浮かべながら話しました。
そして、4年後の東京大会に向けては「次は個人の力をあげてみんなが100メートルで9秒台を出してリレーを組めるようなチームになれたらいい。
次の東京で今回を超えられるような結果を残したい」とチーム全体での成長を誓っていました。

バトンパスは100点

 

日本陸上競技連盟の苅部俊二短距離部長は、ことし3月から繰り返し行われた代表合宿の中で、日本独自のアンダーハンドパスを指導してきました。
苅部短距離部長は「みんな力どおりの走りだった。バトンパスは100点をあげてもいい。ミーティングで、選手の意見とこちらの意見を合わせて、予選より攻めたバトンパスをした。個人種目でも走り自体はみんな悪くなかったので、今回はメダルを狙って、取るべくして取ったメダルだった」と、男子のトラック種目で史上最高の成績に手応えを感じていました。


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