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2016.8.17 : 鉄の女 苦しさ楽しい 世界4位 無限の向上心(新聞掲載)

トライアイスロン女子・上田藍(32)





スイム(水泳)1・5キロ、バイク(自転車)40キロ、ラン(長距離走)10キロ。3種目計51・5キロを休みなしに続ける。2000年シドニー五輪から正式種目となったトライアスロン。鉄人レースと呼ばれる過酷な競技で、155センチ、44キロの小さな体が限界に挑戦する。
なぜ、やるのか。トライアスロン女子の上田藍(32)=ペリエ・グリーンタワー・ブリヂストン・稲毛インター=はちゃめっ気たっぷりに自己分析した。「レースで苦しければ苦しいほど、自分の体にむち打ちながら『あー来た来た、苦しいのが』って笑っている」。楽しいというのだ。
好きな言葉は「向上心に限界はない」。強さの秘密は「超・ポジティブ思考」にある。
今年5月下旬、上田は長野・八千穂高原で合宿をしていた。練習開始は午前8時ちょうど。レースと同じスイムから始める。ふもとにあるスポーツクラブの25メートルプールで、クロール、背泳ぎ、平泳ぎ、バタフライ……。秒刻みの練習メニューをこなしていく。
山根英紀コーチ(48)は「いろいろな人の話をよく聞き、スポンジのように吸収力がある。自分から聞いてくる選手が少ない中、練習メニューも一つ一つ確認してくる」と目を細める。ただ、初めて会った時の印象は「タイムが平凡だった記憶しかない」と苦笑いした。
01年10月、千葉市でトライアスロンクラブを経営する山根コーチに、京都から一本の電話がかかった。「娘がトライアスロンをやりたがってますが、会ってもらえませんやろか」。上田の父守男さん(66)だった。上田は中学校で水泳部だったが脚力を買われ、陸上部の駅伝に助っ人で参加した。3年時の全国中学駅伝で3位に入り、区間賞を獲得。そこで高校から陸上に転身するも記録は伸びなかった。自転車部の部室にあったロードバイクとヘルメットを借り、3年夏に兵庫県であったトライアスロン大会に初挑戦したところ、ぶっちぎりで優勝し、卒業後はトライアスロン選手になろうと考えた。
山根コーチは偶然、関西出張があり、JR京都駅の喫茶店で上田親子と会った。「一般会員として会費を払ってくれれば教えることはできる。やるもやらないも自分次第」という山根コーチの言葉に、上田は「やる気が試されている」と即決した。高校卒業後の02年春、千葉市に単身向かった。
合宿で午前のスイムを1時間ほどで終えると、山根コーチはワゴン車から青い自転車を降ろした。ヘルメットも青。上田は「ラッキーカラー。名前が藍なので」と、自分で握ったおにぎりを頬張る。標高約1600メートルの八千穂高原を目指し、約30キロのバイクトレーニング。自転車を追走する車の運転席で山根コーチが振り返った。「崖っ縁のハングリーな時代があるから、今の上田藍はある」 千葉に来た当初、スイミングクラブの受付アルバイトをしながら朝夕練習した。バイト代は月約8万円で、先輩とシェアしたアパートの家賃は月約3万円。合宿や遠征の費用がかさみ、料金を支払えずに電気を止められたこともあった。バイトのない日は1日3種目練習した。早朝から約2時間で7キロのスイム、次はバイクで120キロを5時間半、そしてクロスカントリーコースのラン15キロ。1日8時間以上こなし実力を上げた。
スポンサー企業もつき、05年からプロ選手となった。06年ドーハ・アジア大会で銀メダルを取り、07年日本選手権で初優勝。初出場の08年北京五輪で17位に入り、12年ロンドン五輪でのメダル獲得が視野に入ってきた。
10年4月、バイクの練習中に転倒して外傷性くも膜下出血の重傷を負った。要安静だったものの約2週間後にプールに入り、リハビリを重ねその約1カ月後にレースに復帰した。ロンドン五輪は39位。「4年では間に合いませんでした。リオで金を取るのでよろしくお願いします」。レースが終わった夜、山根コーチに頭を下げた。
合宿で練習の仕上げは10キロのラン。標高1660メートルから2127メートルまで9キロの上り坂を走り、あと1キロをスパートする。走り終わっても笑顔だ。「体を動かすのは心。ダメと思った瞬間、ダメになる。苦しいことをクリアすることが自信につながり苦しいことを楽しいと思えることで心の土台ができる」 06年から始めた日記に、ロンドンで敗れた夜から毎日同じフレーズを書き続ける。「リオデジャネイロオリンピックで金メダルを勝ち得ることが出来ました。ありがとうございました」。最近、リオでメダルを取る自分の姿をイラスト=右の絵=に描き、ブログにアップした。
現在の世界ランキングは4位。日本トライアスロン界初のメダルの期待がかかる。20日、白い砂浜で有名なコパカバーナ海岸を舞台に、世界一の「鉄の女(アイアンガール)」が決まる。ゼッケン番号56に注目したい。


トライアスロン女子 日本勢は佐藤の15位が最高

リオデジャネイロオリンピックトライアスロン女子が20日、行われ佐藤優香選手が日本勢で最高の15位、上田藍選手が39位、加藤友里恵選手が46位でした。
トライアスロンは1.5キロを泳ぐスイム、38.48キロを自転車で走るバイク、10キロを走るランで争います。
はじめてのオリンピックの佐藤選手は、得意のスイムを先頭集団で泳いで12位につけ、続くバイクでも先頭集団から離れずに、17位で最後のランに進みました。
佐藤選手はこのランを課題としていて、上位の選手に徐々に差をつけられ、トップから3分45秒遅れの15位でゴールしました。
3回目のオリンピックの上田選手はスイムでの出遅れが響いて39位でした。
オリンピック初出場の加藤選手もスイムで出遅れ46位でした。
金メダルは、アメリカのグウェン・ジョーゲンセン選手、銀メダルは、スイスのニコラ・スピリグハグ選手、銅メダルは、イギリスのビッキー・ホランド選手でした。

佐藤「とてもきつかった」

佐藤選手は15位の結果を受けて、「レースはとてもきつかったが、1秒でも速く1人でも前に出るという気持ちで頑張った。皆さんの応援がなければ15位という結果もなかったので感謝している。次の東京オリンピックを目指して4年間頑張っていきたい」と話していました。

上田「とても悔しい」

上田選手は3回目のオリンピックで39位の結果について「とてもよい状態でレースに臨んだが『スイム』で大幅に遅れてしまった。そのあとは、レースを立て直そうとしたが目指した順位に到達できずとても悔しい」と振り返りました。今後の目標については「このままでは終われないという気持ちがある。東京オリンピックに向けてメダルを狙える選手に成長していきたい」と話していました。

加藤選手「悔しい気持ち」

加藤選手は初めてのオリンピックで46位の結果について「8位入賞を目標にしていたが、順位を大幅に落としてしまい悔しい気持ちがある。それでも、たくさんの方に応援してもらえてとても幸せだった」と振り返りました。今後の目標については「悔しい気持ちでいっぱいでこれで終わりたくないという思いが強い。実力と自信をしっかりつけて東京オリンピックで結果を出したい」と話していました。


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