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2016.8.17 : 希望乗せてショット(新聞掲載)

バトミントン選手 奥原希望(21)




日本バドミントン界にとって、リオデジャネイロ五輪での金メダル獲得は悲願。女子シングルスで世界ランキング6位のエース・奥原希望(のぞみ、21歳)=日本ユニシス=は、その期待を担う一人だ。16日夜(日本時間17日午前)にある準々決勝での山口茜(19)=再春館製薬所=との日本人対決を含め、あと3勝で頂点に到達する。
リオ五輪に向け、最も勢いがある競技といわれたバドミントンは数カ月前まで不祥事の嵐の中にいた。男子のエース・桃田賢斗(21)らの賭博が発覚し、暗いイメージがついた。約1カ月後、5月9日の代表発表記者会見だった。
桃田と同学年の奥原は、負のイメージを吹き飛ばすように目を潤ませて語った。「2年間、けがをして、ここに立てることは奇跡。最高のプレーで頂点に立つ」。156センチの小さな体で日本バドミントン界をけん引しようとしていた。
小学生から年代別日本一となったエリートの桃田を、奥原は周囲が驚くような努力で追いかけてきた。奥原は、山々に囲まれ自然の多い長野県大町市で生まれ育った。高校教諭の父圭永(きよなが)さん(57)が大町北高のバドミントン部の指導をするようになったことが縁で、姉と兄と体育館に通い自然と羽根を打ち始めた。
圭永さんは「中途半端は許せない」という一本気な性格だ。家の部屋の壁には「ちりも積もれば山となる。小さな努力を繰り返せ」「喜びは苦しみの向こうにある」など子供に伝えたい思いを書いた紙がびっしり張られている。娘は自然と「迷ったら厳しい方を選ぶのが自分の生き様」と考えるようになった。
小学生の時から、練習は遊びではなく、試合のように1本ずつ集中して打っていた。小学6年の冬、「やる気を示せ」と父に言われると、家の廊下で縄跳びの二重跳びを50分間も続けて、足裏に大きな水ぶくれを作った。圭永さんは「度肝を抜かれ、見ているこっちが泣きそうになった」と振り返る。
より良い練習環境を求め、故郷を離れて埼玉県立大宮東高へ進学した。自ら厳しいトレーニングを設定した。先輩を前に「今日の練習で100%を超えられた人はいる? やらないと強くならないよ」と指摘した。夜遅くになっても練習をやめない奥原を止めるため、同高の大高史夫監督(65)=当時=は体育館の照明を強制的に消した。
努力は裏切らない。高校2年だった2011年12月、全日本総合選手権で史上最年少優勝。翌12年秋の世界ジュニア選手権の男女シングルスで桃田と同時に日本勢初優勝を果たした。
しかし、猛練習の代償で膝に負担がかかる。13年1月の国際大会で左膝半月板を痛めて、4月に手術した。半年以上のリハビリの後、14年4月に国際大会で復活優勝したが、直後に右膝半月板も痛めて手術した。フットワークは小柄な奥原にとって生命線だ。両膝にメスを入れ、「目の前が真っ暗になった」と競技を続けられないことも覚悟した。
前向きさを失わないから、故障もプラスに変えられる。大高さんの教え子で、全日本総合男子ダブルス優勝2回の経験を持つ理学療法士の片山卓哉さん(44)と出会い、リハビリの過程でトレーニングを見直した。筋肉を太くするのではなく、筋肉と筋肉のつながりを高める。地面を力強く蹴るのではなく、重心移動だけで滑らかにスッと動く。新たな取り組みに「バドミントンって面白い」と新鮮な気持ちになった。コートに戻ると、フットワークは向上し、レシーブはさらに堅くなった。
15年に代表復帰すると、一足先に世界トップに近づいていた桃田から貪欲に学んだ。頼んで何度も練習で打ち合う。多彩なショットを持つ桃田とラリーをするだけで感覚が研ぎ澄まされるように感じた。桃田のさりげない一言に「他の人の言葉とは違う意識」で耳を傾けた。
同年4月、強豪選手が世界を転戦するスーパーシリーズ(SS)のシンガポール・オープン。奥原は、桃田がSS初優勝を飾った決勝を観客席から観察した。「おめでとう」と声をかけると、桃田は「(日本人は)小さいから低い展開でいかないと。大きい相手は体の周りが苦手だから」とポツリと返した。その言葉を聞き逃さない。ネットギリギリを狙うショットを磨くと攻めの幅が広がった。9月のヨネックス・オープン・ジャパンで完全復活を遂げる初優勝。年末のSSファイナルでは、桃田と同時に優勝し、そろって笑顔でトロフィーを掲げた。
不祥事で桃田は無期限出場停止処分を受けた。奥原は「2人でずっと引っ張ってきて、すごくさみしい。でも、必ず戻ってくると信じてる。自分がやるべきことをしっかりやりたい」と前を向く。2人が目指していたのはバドミントンをよりメジャーにすること。リオ五輪は絶好のチャンスだ。 21年前、奥原家の待望だった3人目の子は両親から「私たちの『希望』」と命名された。奥原は不祥事で暗くなったバドミントン界を金メダルの光で明るく照らす「希望」になる。


奥原選手が準々決勝に進出



リオデジャネイロオリンピック、バドミントン女子シングルスは、日本時間の17日朝、準々決勝が行われ、大町市出身の奥原希望選手が同じ日本勢の山口茜選手にゲームカウント2対1で勝ちました。
奥原選手は女子シングルスで日本勢で初めて準決勝に進みました。
準々決勝の1試合は世界ランキング6位の奥原選手と12位の山口選手の日本勢2人の対戦になりました。
奥原選手の地元、大町市にある文化会館では17日朝もおよそ250人が集まり、大型スクリーンの前で現地に声援を送りました。
試合は午前8時すぎに始まりましたが、奥原選手は序盤からペースをつかめず、第1ゲームは11対21で山口選手に奪われます。
しかし、第2ゲーム以降、奥原選手は正確なショットと左右に揺さぶる攻撃で主導権を握り、第2ゲームを21対17で、第3ゲームを21対10で、続けて取ってゲームカウント2対1で勝ちました。
奥原選手は日本勢としてこの種目初めての準決勝進出で、会場に集まった地元の人たちからは大きな歓声が上がっていました。
奥原選手の祖父の奥原訓さんは、「最初、ダメかと思ったが、よくやったと思う。明日もしっかりがんばってもらいたい」と話していました。 奥原選手は次の準決勝で、世界ランキング10位のインドの選手と対戦します。


奥原は3位決定戦へ



リオデジャネイロオリンピックバドミントン女子シングルスは18日、準決勝が行われ、奥原希望選手はインドの選手にゲームカウント0対2で敗れ、決勝に進むことはできませんでした。奥原選手は3位決定戦に回り、女子シングルスで日本勢で初めてのメダル獲得を目指します。
世界ランキング6位の奥原選手は準決勝で、ランキング10位で、前回大会の銀メダリストを破って勢いに乗るインドのブイシンデュ・プサルラ選手と対戦しました。
奥原選手は、身長1メートル79センチの長い手足を生かしたプサルラ選手の角度のあるショットに苦戦し、競り合いながらも第1ゲームを19対21で落としました。
奥原選手は第2ゲームで長いラリーから相手のミスを誘うなど持ち味の粘り強いプレーを見せ、連続で5ポイントを奪い、一時はリードしました。しかし、次第に相手の強くて速い攻撃に圧倒されると連続で11ポイントを奪われ、第2ゲームを10対21で落としてゲームカウント0対2で敗れ決勝に進むことはできませんでした。
奥原選手は3位決定戦に回り、女子シングルスで日本勢で初めてのメダル獲得を目指して、前回ロンドン大会の金メダリストで世界ランキング3位の中国の李雪ゼイ選手と対戦します。


バトミントン女子シングルス 奥原銅メタル

リオデジャネイロオリンピックのバドミントン女子シングルスで、19日の3位決定戦で、奥原希望選手と対戦する中国の選手が足のけがで棄権することになり、奥原選手が銅メダルを獲得する見通しとなりました。
奥原選手は18日の準決勝で、インドの選手に敗れて19日の3位決定戦に回り、中国の選手と対戦することになっていました。
しかし、その後、中国のバドミントン協会がこの選手が足のけがで棄権すると発表しました。さらに、世界バドミントン連盟や大会の組織委員会のバドミントン競技会場の責任者も3位決定戦の試合が行われないことを明らかにしました。
このため、奥原選手は銅メダルを獲得しました。


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