2016.7.31 : 東京都知事選 小池百合子氏が当選
舛添前知事の辞職に伴う東京都知事選挙は31日に投票が行われ、無所属の新人で元防衛大臣の小池百合子氏の初めての当選しまた。東京都知事に初めて女性が就任することになります。
元防衛大臣の小池百合子氏が、自民党、公明党、日本のこころを大切にする党が推薦する元総務大臣の増田寛也氏や、民進党、共産党、社民党、生活の党が推薦するジャーナリストの鳥越俊太郎氏らを大きく引き離す勢いです。
小池氏は兵庫県出身の64歳。エジプトのカイロ大学を卒業後、テレビのニュースキャスターなどを経て、平成4年の参議院選挙で当時の日本新党から立候補して初当選しました。翌平成5年に衆議院議員に転じ、今回、都知事選挙に立候補するまで8期連続で務めました。この間、日本新党から新進党、自由党、保守党を経て、自民党に移り、平成15年、小泉第2次改造内閣で環境大臣として初入閣し、
地球温暖化対策を進めるため「クールビズ」の旗振り役を務めました。平成17年の衆議院選挙では、郵政民営化に反対する候補のいわゆる「刺客候補」として選挙区を地元の兵庫県から東京10区に移して立候補し、当選しました。平成19年には、第1次安倍内閣で防衛大臣に就任し、防衛庁時代を含めて女性で初めて防衛省のトップに立ちました。
今回の都知事選挙では、自民党が増田氏の支援を決める中、小池氏は、東京都連に出していた推薦願を取り下げて立候補し、事実上の分裂選挙となりました。小池氏は、政党の推薦を受けず、親交のある一部の自民党の国会議員や、みずからが地盤とする豊島区や練馬区の区議会議員らの支援を受けました。
選挙戦で、小池氏は、都知事が2代続けて政治とカネの問題で任期途中で辞職したことを踏まえ、しがらみのない政治を実現させるとして、「都の政策決定過程を透明化する」と訴えました。また、オリンピック・パラリンピックに関連する予算の見直しや、待機児童の解消、それに、環境に配慮した都市づくりなどに取り組むと訴えました。
その結果、所属する自民党の支持層や、特定の支持政党を持たない無党派層などから幅広く支持を集め、初めての当選を確実にしました。
小池氏は「これまでにない選挙で、支えてくれる人の輪が広がっていくのを痛感した。新都知事として、これまでにない、見たことがない都政にまい進していきたい」と話していました。
投票が締め切られた午後8時、テレビに当選確実の速報が流れると、小池氏は約5分後に東京都豊島区の事務所に姿を見せ「未熟な私でございますが、皆さまに支えていただきまして、当選を果たすことができました」と笑顔で語った。
事務所の壁には、シンボルカラーの緑色の紙に書かれた支援者のメッセージが並ぶ。小池氏はクリーム色のスーツに身を包み、手には緑色のタオルを握りしめ、集まった支援者と次々に握手を交わした。
何度も何度も頭を下げて「皆さまに心から感謝を申し上げます」と述べた。
小池氏は24年間にわたる国政での活動をなげうち、「崖から飛び降りる覚悟で挑戦したい」と出馬を表明。所属する自民党の推薦を受けずに選挙戦に臨んだ。自身の不信任案可決を前提に「都議会の冒頭解散」を打ち出すなど都議会との対決姿勢を鮮明にした。
だが、当選を決めた後は「私は知事として都民から選ばれ、また議会も都民から選ばれた方々。都議会とも都民のためになる政策の実現に連携をとらせていただきたい。混乱でなく都民ファーストで、おのずと答えが出てくる」と対決回避も示唆した。
また「身を切る改革」を示すとして「知事報酬を半分にする」と述べた。
初の女性知事として女性の視点を生かした政策も注目される。小池氏は「待機児童の問題は典型的。女性政策を進めることが幸せ感あふれる東京になる。女性も男性も輝ける東京にしたい。待機児童、介護の問題を進めなければならない」と抱負を述べた。
政治とカネについては「公私混同は許されない。これが一番大事だ」と話し、舛添要一前知事の問題について「こうしたことが起こらないようにするにはどうすればいいか、その点に重点を置いて検証したい」と述べた。
4年後に迫る東京五輪・パラリンピックに向け、新東京都知事が果たす役割は重要だ。大会開催費の膨張を抑制するための国際オリンピック委員会(IOC)との交渉力、大会組織委員会や国と費用分担の見直しを進める調整力が問われる。
招致段階で7340億円と見積もられた開催費は、建設資材や人件費の高騰で2兆円にも上ると試算される。8月3日のIOC総会で開催都市提案している野球・ソフトボールなど5競技18種目の追加が実現すれば、さらに費用は膨らむ。IOCの理解を得つつ、会場機能の簡素化も検討しながらコストを抑える努力が求められる。
開催費のうち会場整備費の分担は招致段階で、恒久施設が都、仮設施設は組織委とされた。ただ、仮設だけで当初計画の4倍に当たる約2800億円に膨らむ見通し。資金難に陥る恐れがある組織委の申し出で、国が立ち会い、都と分担の再検討を始めている。
小池氏は選挙戦で「五輪関連予算・運営の適正化」を掲げた。当選を決めた後「予算の積算根拠を改めて示してもらい、もう一度都民の負担を明らかにしたい。一番のポイントは情報公開」と語った。
大会組織委の森喜朗会長は、東京都に負担増を求めている。小池氏は選挙戦中、森会長について「(旧森派=現細田派=に所属していた時に)党総裁選に勝手に私が出馬したこともあって、私のことは嫌いでは」などと述べ、今後の調整を懸念する都幹部もいる。
小池氏は1952年、兵庫県生まれ。カイロ大卒業後、通訳やキャスターなどとして活躍した。92年に結成されたばかりの日本新党に入党し、参院選比例代表に出馬して初当選した。93年の衆院選に旧兵庫2区から日本新党公認で出馬し当選した。
94年に新進党結成に参加し、小選挙区比例代表並立制が導入された96年衆院選に兵庫6区から立候補して再選。98年に小沢一郎氏が党首を務めた自由党の結党に加わった。その後、保守党を経て自民党に入党する。頻繁に所属政党を変え「政界渡り鳥」とも評された。
2003年、小泉内閣で環境相として初入閣し、軽装で冷房の節電につなげる「クールビズ」を推進。郵政民営化が争点となった05年衆院選では反対勢力への「刺客」として、東京10区から国替え出馬し当選した。07年に女性初の防衛相に就いたが、事務次官人事を巡ってわずか55日で辞任。記者会見で「国家の最重要部門にかかわり、まさに女子の本懐」との言葉を残した。
08年に自民党総裁選に立候補し3位。自民党が野党だった10年に女性初の党総務会長に就任した。1年後に退任してからは、閣僚や党三役といった主要ポストから遠ざかっていた。衆院8期目途中で今回の都知事選に立候補した。