2016.4.23 : 草間弥生さん「世界の100人」
米誌タイムは21日、毎年恒例の「世界で最も影響力のある100人」を発表し、日本からは前衛美術家の草間弥生さん(87)が選ばれた。米大統領選の候補者選びが続いている世相を反映し、
共和党の実業家トランプ氏、民主党のクリントン前国務長官らも入った。
「芸術家」部門で選ばれた草間さんは、少女期からの幻視・幻聴体験を基に、無限に広がる水玉や網目の作品を創作。1960年代には米国で活躍した。タイムは、ファッションデザイナーによる紹介文で
「アートの世界で実に急進的で革命的なことを成し遂げてきた」と評しました。
こんにちは。初めまして。作品が所狭しと並んでいます。とてもカラフルですね。
よくいらっしゃいました。これは全て私が描いたものです。他の人の手は一切入っていません。
絵の具を溶いてもらうことはありますが、こういう細かい点の模様も私が全てやりました。今は作品の縁の部分を描いていたところです。そのうち、中の方に絵がぼーんと入るものですから。
描いたばかりのものが二つあって。それをほんのちょっと、お見せします。タイトルは「我が心の中の無」と「私に死が訪れた瞬間」です。
色が、とてもきれいですね。圧倒されるな……。だいたい1枚(2メートル四方大)にどのくらい時間をかけるのですか?
3日から1週間ほどです。普通はスケッチをしてから描きますが、私はしません。いくらでもアイデアが出てくるので、夢中で描いているうちに一つの絵ができあがっています。自分でもびっくりいたします。
模様や色もどんどん変わっていきます。ひとつ描くと少しタイプを変えて、10点くらい描くとまた次のタイプが「ぱん」と出てくるんですよ。
尊敬している芸術家はいますか?
自分自身です。世界中で自分ほど、熱烈に芸術に貢献した人間はいません。子供の頃から芸術のために毎日、切磋琢磨(せっさたくま)してきました。絵は15歳の頃から欠かさず描いてきました。
小さな頃から芸術への思いを抱いてきたんですね。
母は私が他の人から「すばらしいお嬢さんですね」と褒められても、決して認めてくれませんでした。敗戦も重なり、私の愛と精神は傷だらけになりました。心の傷を慰めようと取り組んだのが、私の芸術の発端です。
そうでしたか。そういうことがあったからこそ草間さんの作品は「愛」や「生と死」が重要なテーマになるのですね。
もっともっと素晴らしい人生を築きたいと思っています。それを一日たりとも忘れたことはありません。心が傷ついたり、高揚したりしたその時々を描き留めてきました。愛は人間の生きる根源です。平和とか神の中に見え隠れする摂理なのです。
草間さんが渡米した1960年前後のニューヨークってどんなふうでしたか?
若い人たちがそれぞれやりたいことを一生懸命やり、華々しく世界に打って出た絶頂期でした。そうした中で私たちは自由に創作し絵を描いていました。
女性であることの利点や欠点を意識したことはありますか。
そのようなことは考えないようにしています。女性であるということは、私にとって関係のないことです。誰も歩んだことがない人生を謳歌(おうか)しようとしてきました。
そんな中で芸術を離れ、ほっとする瞬間があれば聞かせてください。好きなお食事や音楽は?
そういうものもないのです。描きながら食べられるサンドイッチとか、おにぎりとか……。「きょうはここまで、明日はあそこまで」という具合に一日中、制作しておりますから。音楽や詩も自分が作ったものが一番好きです。他の作品にはあまり興味を持っておりません。
今や、世界のどこかで常に個展が開かれている人気ぶりですね。
ニューヨークと台湾で個展が開かれていて、モスクワでも予定されています。台湾は「草間彌生カフェ」ができるなど熱狂的ですよ。うれしいことです。スタッフは世界中を飛び回っていますが、私は時間が惜しくて。ここで絵ばっかり、じゃんじゃん描いているの。とにかく絵のことしか考えていない。死にものぐるいで闘っているのです。
「闘っている」というのはそれだけ時間がないということですか。
はい。最高の愛と人間への尊厳を作品にできたら、私はいつ死んでもいいと思っています。後世の人々は作品を見て心打たれるでしょうから。芸術家はもっともっと真剣に世の中のことを考え、人類に貢献しなければなりません。そのために私は日々、描くのです。皆さんが感動的な素晴らしい人生を送るための力になりたいのです。
1929年、長野県松本市生まれ。子供の頃から水玉模様をモチーフにした絵を描き、57年には渡米、ニューヨークで前衛芸術家として話題となった。
93年には、ベネチア・ビエンナーレの日本代表に選出された。
これまで世界27カ国80都市以上で個展を開催。イギリスの美術専門紙は、美術館の来場者数から「2014年最も人気なアーティスト」と発表した。