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2015.11.27 :オウム真理教の菊地直子元信者 2審で無罪 釈放

20年前に起きたオウム真理教による東京都庁の郵便物爆破事件で、殺人未遂のほう助の罪に問われた菊地直子元信者に、 2審の東京高等裁判所は「テロ行為を認識して手助けしたと認めるには合理的な疑いが残る」として、 1審の懲役5年の判決を取り消し無罪を言い渡しました。菊地元信者は27日夕方、釈放されました。
釈放されたのはオウム真理教の菊地直子元信者(43)で、午後5時すぎに、帽子をかぶってややうつむいた様子で弁護士などとタクシーに乗車して、東京拘置所を出ました。
菊地元信者は、平成7年に東京都庁で郵便物が爆発し職員が大けがをした事件で、爆薬の原料の薬品を教団の元幹部らのもとに運んだとして、殺人未遂のほう助の罪に問われました。
事件後に特別手配され、3年前に逮捕されるまで逃亡を続けていて、裁判では無罪を主張しましたが、1審の裁判員裁判で懲役5年の判決を言い渡され、控訴していました。
27日の2審の判決で、東京高等裁判所の大島隆明裁判長は、1審で有罪の根拠となった教団の元幹部、井上嘉浩死刑囚の「本人に爆薬を見せた」という証言について、 「不自然に詳細かつ具体的で、信用できない」と指摘しました。
そのうえで、「菊地元信者は指示されたことを実行する立場に過ぎず、教団の実行犯が人を殺傷するテロ行為を行うことを認識して手助けしたと認めるには合理的な疑いが残る」として、1審の判決を取り消し無罪を言い渡しました。
菊地元信者は判決を受けたあと、いったん東京拘置所に戻り、午後5時すぎに拘置所を出ました。 菊地元信者のほかに特別手配されていたオウム真理教の元信者のうち、高橋克也被告は1審で無期懲役の判決を言い渡され控訴しているほか、平田信被告は1審と2審で懲役9年の判決を言い渡され上告しています。


江川紹子さん「妥当な判決」
東京高等裁判所の判決を傍聴したジャーナリストの江川紹子さんは「刑事事件の原則に忠実で妥当な判決だったと思う。裁判員裁判だった1審の判決は、事件の結果から判断しているように感じられた。
しかし今回の判決は、外形的な事実や証拠を積み重ね、オウム真理教という特殊な環境も考慮して本人の認識を推し量って判断していた」と評価しました。また、菊地元信者については「信者だった人たちの中には自分たちが被害者だという人もいるが、 菊地元信者は今回の判決によって、社会に対する信頼を持って復帰できるのではないか。
教団によって重大な結果が生じたので、自分たちが行ってきたことをもう一度整理してほしいと思う」と話していました。


「これまでのこと正直に話して」
教団の施設が点在していた山梨県の旧上九一色村で、オウム問題の対策委員会の副委員長を務めていた竹内精一さんは「菊地元信者が当時、ユニフォームを着てマラソンの練習をしている姿を毎日のように見た。おとなしい娘という印象だった。
麻原死刑囚などの幹部が真相を明らかにしないかぎり全容の解明は難しいと思うが、菊地元信者にはこれまでのことを正直に話してほしい。2審で無罪の判決が出たが、被害に遭った人がいるという事実を真摯(しんし)に考えてほしい」と話していました。
また、オウム真理教から名前を変えた教団の施設があり、教団の解散を求めている東京・足立区の住民グループの齋藤洋一さんは、「予想もしていない判決でした。いまだに恐怖感が拭えない住民にとっては、17年も逃げ続けたことだけでも憤りを感じていました」と話していました。
近くに住む70代の男性は、「今回の裁判では無罪になったが、これをきっかけに教団が、オウム真理教が法に反していなかったと主張し出すのではないかと心配です」と話していました。


特別手配から無罪へ 異例の経過
菊地直子元信者は、平成7年に全国の教団施設に一斉に警察の強制捜査が入ったあとに姿を消し、地下鉄サリン事件でサリンの製造に関わった殺人などの疑いで特別手配されました。
その後、17年にわたって逃亡を続けますが、平成24年に、地下鉄サリン事件に関わる殺人などに加えて、猛毒のVXを使って会社員を殺害するなどした事件と、東京都庁の郵便物爆破事件の合わせて3つの事件で逮捕されました。
しかし、地下鉄サリン事件とVXによる襲撃事件に関しては、いずれも起訴できるだけの証拠が集まらなかったとして不起訴になります。
起訴されたのは、東京都庁の郵便物爆破事件で、殺人未遂のほう助の罪と爆発物の製造・使用を手助けした罪でした。
これについても、1審の東京地方裁判所は「爆発物が作られるとまでは認識していなかった」として、殺人未遂のほう助の罪だけを認めて懲役5年を言い渡しました。
そして27日、東京高等裁判所はこの判決も取り消し、無罪を言い渡しました。
オウム真理教による一連の事件では、未曾有のテロ事件に関わったとして特別手配された元信者が無罪になるという、異例の経過をたどりました。

無罪判決 判断のポイントは
裁判では、菊地直子元信者が事件のことをどのように認識していたかが焦点となりました。菊地元信者が罪に問われたのはオウム真理教による東京都庁の郵便物爆破事件で、
爆薬の原料だと認識したうえで薬品を教団の元幹部のもとに運んだとして、殺人未遂の犯行を手助けした「ほう助」に当たるとされました。
一方、菊地元信者は裁判で、「運んだ薬品が事件に使われるとは思わなかった」として、人を殺傷するような爆薬を作れるという認識はなかったと主張しました。
1審の東京地方裁判所は、元幹部の証言や薬品のラベルに「劇物」と表示されていたことなどから、菊地元信者には危険な爆薬を作れるという認識があったと判断しました。
これに対して東京高等裁判所は「1審の判決は根拠の不十分な推認を重ねたもので、認めることはできない」と指摘しました。
東京高裁が問題視したのは、1審で証言したオウム真理教の元幹部、井上嘉浩死刑囚の証言でした。井上死刑囚は「本人に爆薬を見せて『あなたのおかげで準備ができつつある』とことばをかけたら、『頑張ります』と言われた」と証言し、1審では有罪の根拠の1つになりました。
しかし東京高裁は、「自分にとって重要性のないエピソードを長年覚えているのは不自然だ」として、信用できないと判断しました。
一方で、「爆薬を作っているとは思っていなかった」という菊地元信者の主張については、「教団の指示や説明に従うしかない立場で、化学の知識にも乏しいことを考えると、弁解が不合理だとして退けることはできない」と評価しました。
また、薬品のラベルに「劇物」という表示があり、薬品名が記載されていたことについても、「一般的に、その薬品で危険な爆薬を大量に製造できることまで思いつくようなものではない」として、有罪の根拠にはならないという判断を示しました。
東京高裁はそのうえで、「1審の時点で事件から19年の歳月が流れ、関係者の記憶もあいまいで、菊地元信者が爆薬の原料だと認識していたことをうかがわせる具体的なエピソードや本人の言動を認めることはできず、有罪とするには合理的な疑いが残る」と結論づけました。

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